ぺそぎんのメモ帳

備忘録として作ってみました

メモ:相棒シリーズを通して考える現状の司法の問題点

     

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僕は以前から相棒シリーズの大ファンで放送時は欠かさず見ています。

刑事ドラマ自体は数多く存在しますが、その中でも相棒独自の魅力は現実に起こり得る問題に対する問題提起を行っている回が非常に豊富だという点です。

特に司法制度に関する問いかけが多く、現実に起きた凄惨な事件同様とっさに自分の考えをまとめることができない位衝撃を受ける場合が多々あります。

今回は相棒season17 第16話、小4女児虐待死、煽り運転による殺人、これらから見える現行法の問題点を加害者の更生という観点から考え、まとめてみました。

※以下過激な表現も出るのでご理解の上読み進めていただけると幸いです。

※相棒season17 第16話のネタバレを含みます。ご理解ください。

 ①相棒season17 第16話の内容

今回のテーマは娘を殺害された被害者遺族の苦痛と加害者の更生というものでした。

落とし物を拾ったが無視されたと勘違いし、逆上した男によって17歳の女子高生が殺害されるという事件が起きた。娘を殺害された被害者夫婦は裁判で加害者に対する厳罰化を求めた。しかし人権派として有名な弁護士の尽力により情状酌量(加害者が職場でいじめにあっていて情緒不安定だった)が適用され、12年という刑期に留まってしまう。追い打ちをかけるように手紙のやり取りによる誠意の確認も加害者側の受け取り拒否により見込めなくなってしまう。被害者夫婦は並々ならぬ失意の中、日々を過ごしていた。そんなある日、出所後社会復帰した加害者の居場所を知ることになる。当然被害者の母は復讐を決意する。指定された場所に行くと加害者の弁護を担当した弁護士の殺害現場に遭遇する。間接的ではあるが復讐の代行をしてもらった恩義として自身が犯人だと思われるように細工をする。ドラマの結末としては弁護士殺害の真犯人、被害者母の細工、加害者が手紙の受け取りを拒否した理由(どんな反省の言葉も嘘だと思われるから出さない方がマシ)という部分まで明らかにするものでした。

②法律=抑止力 という考え方

基本的には犯罪自体が起こらないのが最も理想です。そもそも犯罪が起こらなければ不幸な目に合う人がいませんし、裁判と服役に際しての時間と費用と人手を抑える事ができるからです。それを実現するには法律が抑止力として機能する必要があります。

例えば万引きをしたら死刑という法律が成立したとします。この法律の下での万引きはかなり割に合わない行為になるはずです。極端な例ですがこれこそが抑止力です。

もしこのように十分すぎるほど抑止力が働いた状況で万引きを行う人は

1,万引きという行為に対する満足度が高すぎる

 (万引き自体が好き、とにかく対象の店に損害を与えたいetc)

2,そもそも万引きをする際に理性が働いてない(衝動的に行ってしまう)

3,食べるものに困って仕方なく

のいずれかに分類できるはずです。

さて冒頭で紹介した3つの事件に対して現在の法律が抑止力として機能していると言えるでしょうか。おそらく多くの人が首を横に振ると思われます。ではなぜ抑止力が働いてないと思ってしまうほど罰則が緩くなるのでしょうか。もちろん市民と司法の専門家の間で感覚が違うと言えばそれまでですが、その原因の一つとして受刑者の更生という面が存在すると仮定し掘り下げてみます。

③受刑者の更生=受刑者のため?

人間は反省する事ができるという性善説に基づき、犯した罪に応じて刑務所で過ごせば再度社会に復帰することができるという制度が現在の日本には存在します。一見すると聞こえの良い話ですがもちろん問題点はあります。出所した受刑者が再犯する可能性、服役までの費用負担などです。この辺は比較的多くの人が想像しやすい問題点だと思われます。当然この2点だけでも受刑者の更生に対して反対の立場を取ることも可能です。

しかし今回は"そもそも受刑者が更生しようがしなかろうが辛い展開しか残ってないから更生を目指すのは割に合わないのではないか"という視点を考えてみたいと思います。

更生プログラムを受け、出所した元受刑者は2つのパターンに分類できます。

Ⅰ反省せずに罪を犯してしまう

Ⅱ反省して社会復帰を目指す

まずはⅠのパターンについて考えてみましょう。こちらは一言で言えば更生プログラムにかけた時間と費用と人手が無駄になったうえに新たな犠牲者を生み出してしまう最悪のパターンです。②の中で例示したように罪状が万引きであればまだマシかもしれません。ではそれが殺人だった場合はどうでしょう。抑止力が機能してない状況であれば何かの間違いだと仮定して現状のように更生を考える人が出ても不思議はありません。しかし万引きですら死刑という状況の中で②-1と2のような動機だった場合は再犯の可能性はかなり高いと推測するのが妥当であるはずです。再犯のリスクが高いのであればそのまま牢屋に閉じ込めておくのが妥当だと結論付けるべきでしょう(②-3のような動機については万引きであれば社会保障制度の在り方、殺人であれば正当防衛が成り立つかなど別の問題に焦点が当たるためあえて触れません)。

次はⅡのパターンについて考えてみましょう。こちらは更生プログラムにかけた時間と費用と人手が報われたパターンに見えるかもしれません。しかし大きな落とし穴があります。

それは現状のように抑止力が不十分な場合、他人からは目の前の元受刑者がⅠとⅡのどちらに当たるかの判断が極めて困難だという点です。この問題は元受刑者が就職する際に顕著に表れるでしょう。もしあなたが企業の採用担当だった場合、似たスペックの元受刑者とそうでない人がいた場合どちらを選びますか。また以前起こした犯罪が殺人だと知った場合に悩み方の度合いはどう変化しますか。おそらく犯罪をしてない方を好み、より積極的に元犯罪者を拒否するようになるでしょう。これが一企業単位で済めば相性が合わないと片づけても問題ないでしょう。しかしそうした傾向があらゆる企業で見られる場合はどうでしょう。各々の自然な判断によって、更生したはずの受刑者がブラック企業やバッシングの多い生活保護に流れて世の中への憎悪を募らせ犯罪に走ってしまうという展開は十分あり得るはずです。

④まとめ

 Ⅱのケースについてはそんな状況でも無理矢理生き永らえさせることこそ死刑よりも苦しい罰であるという考え方も想定できます。しかしそれは罪を犯してない善良な人間に充てることが出来たかもしれない時間と費用と人手を割いてでも実現しなければならない罰の与え方なのでしょうか。また罪を犯してない善良な人間に犯罪に巻き込まれるリスクを負わせてでも実現しないといけないものなのでしょうか。

あるいは受刑者の側に立ってみましょう。強力な抑止力を前にしても犯罪行為に対してリターンを感じてしまう感性や衝動性が先行してしまうという特性を持ってしまった場合は常に自身の嗜好または本能の類を抑制する必要があるということに他なりません。受刑者と多くの一般市民の双方が更生を望まないのであれば現在不都合な特性を持ってしまった人たち、あるいは今後そのような特性を持った人を減らすためにも"介錯のための死刑"を言い渡せるようにする事こそが"本当の優しさ"ではないでしょうか。そしてそもそも犯罪自体が起きないという理想的な展開を通すためにも殺人などの重罪については厳罰化が必要だと言えるのではないでしょうか。