ぺそぎんのメモ帳

備忘録として作ってみました

意味が無いという優しさ

※暗い話ではありません。前向きな話です。

「生きる意味とは何でしょう」こう聞かれたときみなさんはどう答えますか。既に自分なりの回答を用意できている人、すぐには回答を出せない人色々だと思います。参考になるかは分かりませんがメモついでに僕が出した答えに至るまでのプロセスを書いていきます。結論は③に書いてあります。

 ①他者視点からのあなたが生きる意味

まず分かりやすい点から考えてみました。パッと思い浮かぶのは人間全体(社会)から見た時の話です。それは「社会を維持するためには人手が必要であり、その担い手として人間が必要である」という考え方です。

パッと思いつきやすく、またそれなりに理屈も通りやすいとは思います。しかし担い手になれない人間に対する迫害を理屈の上では防げないという問題が出てしまいます。

 

②人間という種が生きる意味

人間全体という視点で考えると悲惨な考えに至りやすいならばもっと別の角度から考えてみるのもありだと思いました。では他の動植物などの視点では人間はどのような存在になるのでしょう。こちらはさらに厄介です。同族の中で争い、多くの動植物を蹂躙したうえで不満を抱え、さらに死にたいと愚痴をこぼす。どこで切り取るかにもよりますが、日本の閉塞感を考慮すると全くの的外れとは言えない気がします。

つまり「人間という種は身勝手であり、他の生物にとってはマイナスの要素の方が多い」ということが言えるのではないでしょうか。

 

③個人が生きる意味

①と②を踏まえた場合、人間という種の存在はマイナス面が強くさらに当事者である人間も不満を抱えているという非常に悲劇的な結論が出てしまいます。もちろんここで止めても気分が良くなることはないでしょう。

それを解決するためには「人間自体が生きる意味はなく、ただ今思考している主体が生きたいと思ってるから生きている」と考えるしかないと僕は結論付けました。

そもそも人間自体に生きるべき意味が無いのであればその中で正誤を求める方が筋違いであり、法律に違反しない範囲で自由に生きていい。生きたければ生きれば良いし逆も仕方ない。ただどうせなら前者の方が楽でしょう。これくらいの適当さが重要だと思いました。