ぺそぎんのメモ帳

備忘録として作ってみました

メモ:解決を諦めなくても良いという幸運

※今回は思考整理兼備忘録として書いてます。

※前後の文脈が分かりづらいかもしれませんがその点はご容赦ください。

以前キャスで話した内容がかなりややこしかったみたいなので反省として文章形式でまとめていきます。またより分かりやすくするために3つの点に絞って説明をしていきます。

 ①当事者だけでの問題解決には限界がある

例えば当事者が解決を望んでいてかつ無限にリソースを投入できる状態の問題があったと仮定してみます。言うまでもなくその問題は当然解決しているはずです。しかし現実には解決すべきなのに解決できていない問題は山ほどあります。ここから導かれることは何でしょうか。それは当事者あるいはリソースの調達者など異なる立場がお互いのメリットを追求した妥協点として"放置"が最もメリットが大きくなるという結論に至ったと解釈するのが自然だということです。

ここで一つ以前話題になった公立小中学校ではクーラーが設置されて無い件を例として考えてみましょう。この場合当事者に当たるのは学生や授業を行う教職員です。当然彼らはクーラーの設置を望むはずです。しかし実際に教育事業への予算の配分や配分された予算の使い道を決めるのは市長、議員、校長、あるいはもっと広げると地方への交付金額を決める国となります。一部の市を除いて財政状況はどこも厳しいという前提に立った場合、前述の彼らにとって短期的な視点での最適解は解任請求や次回の選挙で当選が難しくなるといった強烈なデメリットが発生しない範囲で当事者の意見に耳を貸さないというものになるはずです。逆に考えれば意思決定(枠組み作り)の時点で優先順位の調整に関われる、あるいは枠組み作りの人達にいわゆるwin-winの提案ができない限りこの問題の解決は極めて困難だと言わざるを得ません。

似たような理屈で解決が難しい問題は山ほどあると思いますが、それらも同様に解決は出来るわけないという前提で考える必要があります。解決できないのであれば諦め考えるのをやめ、その場から離れるのが個人単位での最適解かもしれません。

 

②長期的視点が考慮されている

 短期的には最適解だったとしても長期的に考えた場合、同様に最適解であるとは限りません。むしろより厳しい展開になる場合もありえます。例えば①で例示したクーラー設置問題に沿って考えてみましょう。今年小学生が校外学習から戻った後教室で死亡したというニュースがありました。人災によって死者を出すだけでなく、不信感を持たれることで今後の学校運営も難しくなると思われます。

ただここで気を付けておきたいのがクーラー設置の件は被害を受けたのが義務教育期間中の小学一年生であり、該当学校からの離反という選択肢が現実的では無かった点です。例を変えて長時間労働についてはどうでしょう。労働者側から考えた場合、勤務と並行であれば転職活動による負荷、辞めてからであれば収入減少や次の職が見つかるかどうかの不安はあれど、不満が多ければ別の会社に移ることができます。一方企業側はコストを下げるために人件費(給料)を安くし、長く働かせることで利益が出ますが当然離職が続けば事業を維持できなくなります。また人が減ってから立て直しを図るのは手遅れパターンに陥ることもあり非常にリスキーです。今を良くするための短期的な解と対立しがちな長期的な利益を求めるという選択肢が上層部から出るというのは今までの事を踏まえるといかにレアケースであるか伝われば幸いです。

 

③解決を諦めなくても良いという幸運

①の最後で枠組み作りの人達にいわゆるwin-winの提案が出来ないなら問題解決は困難だろうと書きました。逆に考えると枠組み作りの人達にwin-winの提案ができる環境であればその問題は前進する可能性が極めて高いとも言えます。より良い可能性が無いと様々な場面で切り捨ててきた人間にとってはこれがどれほどありがたいことか。そんなことをふと最近感じました。